2010年11月22日月曜日

上海雑伎団スレ【第三十四幕】

298 名前: 信頼 [sage] 投稿日: 2010/11/08(月) 17:53:02 6qQB0GXU0
今ここを読んでますが、笑いが止まらないんですよw
魂の共鳴現象とでもいいましょうか、友人と意気投合した感覚とでもいいましょうか。
以前読んだ時はこんな事なかったんですが、とにかく面白い!

津留晃一の新人類の覚醒進化プログラム
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/sub3.htm

真面目に考えるのちょっと止めてみよ!
深刻に考えるのちょっとストップストップ!
それ本当に正しい事かな?100パーセントそう言える?
軽く行こうよ軽くねw

一つだけ例を挙げますね。
例えば男性の悩みの一つにハゲがありますね。
これね、ハゲで悩んでる人は、100%ハゲの人を馬鹿にしてます。
で、なければハゲているって事で悩む事はありません。
今、ハゲてない人がハゲを恐れている人も同じですよ。

このハゲの部分は何に入れ替えても通じますね。


305 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/08(月) 19:07:25 qLe.ummcO
>>298
ハゲの例が例になっていない件について


383 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/09(火) 22:06:42 EtlbEhm60
晩酌のサカナに、
ちょっとした仮説を書いてみるw


時間ってあるのだろうか・・・・ ・ ・  ・?


チケット板でよく語られる、過去も未来もなく今現在のみがあるという話ではない。
時間そのものが自明の前提としてあるのだろうかという問いだ。

私は時間そのものを疑ってかかっています。今この一瞬ですら、
今でないものを今として私たちが現象化させたものではないかと!


順をおって説明します。
チケット、シークレット、エイブラハム、引き寄せの法則、波動の法則など。
十把一絡げにまとめるのは乱暴ですが、パラダイム転換の主張と読めます。

モノは存在するから認識するのではなく、真実は逆だというのが共通骨子だと思います。
認識することによってコトが現象化する。すべては観念の通りに物事は展開している。
もっと突き詰めていうと、モノと認識との関係は、一対一の対応関係ではなく、
多対一のマトリックス変換の対応であるということにつながっていくのですが。


それで、時間についてですが、過去スレをはじめ直結ブログでも
私たちは直線的な過去→現在→未来という直線的時間観を放棄してきました。
ですが『時間そのものが存在する』ということは疑ってこなかったのではないでしょうか。

今この一瞬しかないと主張する人も、過去と未来は想像にすぎないと喝破されても、
今この一瞬という『時間の存在自体』に疑いのまなざしを向けられたことは恐らくないと思います。
直結ブログの第4章で「この世界には結果しかない」と108さんが主張されたときも、
「今に過去も未来もすべてがあるのだから当然」という反応をされた方も多いと思いますが、
これも時間の存在自体は肯定しているわけです。

だけど、引き寄せの仕組みからするとおかしくないでしょうか。
ありとあらゆる目に見えるもの、これらが認識や観念によって現象化しているのなら、
時間そのものも、私たちの意識によって現象化したとは考えられないでしょうか?

時間は、私たちを包み込む絶対自明の容器として存在するのではなく、
時間を超えたモノ(マトリックスの根源であり時間の概念ではとらえられない何か)が
現象化のシステムにかかわって時間として現れているのではないかという可能性が、
引き寄せのシステムから考えると、単純にでてくると思います。


あ。上に書いたことを真にうけないでくださいね。
そういうことも考えられるよってことです。酒のサカナですw


390 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/09(火) 22:40:59 qLe.ummcO
>>383
議論をすり合わせるならそれぞれが想定していた「時間」の定義を明らかにする必要があるな。
だがおもしろい。もっと語ってくれ。


540 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/12(金) 14:45:06 CKKZ23Qw0
>>517>>522観測者さん
少しわかる。そこそこ本願も色々叶ってるので心が安定してる自分だが、同じようにしても叶わなくて苦しんで荒れる友人を見るのが辛い。
楽になってほしくてかける言葉もうまく届かないよ
>>528のようにするしかないのか・・・


543 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/12(金) 15:40:34 qLe.ummcO
>>540
その人を信じるといいよ。他人も投影であることを肯定できるなら、その人の"大丈夫さ"を信じた限度でその人が大丈夫であることを現象として確認できる。
それは、心配を手放すことと等しい。


544 名前: 540 [sage] 投稿日: 2010/11/12(金) 16:24:58 CKKZ23Qw0
! クレさん。 ありがとう やっぱりそうだよね。それしかないんだわ。


551 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/12(金) 21:33:43 qLe.ummcO
>>544
"しかない"わけではない。可能性は無限にあることは常に念頭に置いておいた方が無難だと思うよ。
内面の投影を肯定できるできないに関わらず。



930 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/11/21(日) 15:46:41 66lV647I0
>>927
ついでに書けば、私は「そうなのかもしれない」と思い始めている。
ただまだ信じ切れていないし信じたくない部分もある。
愛する人を事故や病気でなくした人が、「その現実はあなたが創りました。
意識的か無意識かにかかわらず、あなたの内面が殺しました。」
と言われてるようなものだから。これはきついを通り越している。
でも、そうかもしれない、と思い始めている。
現実は内面の投影を採用している方々は、こんなふうに考えるのは「馬鹿馬鹿しい」と思うのだろうか?
それとも、「その通り」と思うのだろうか、と聞いてみたかった。
そして「その通り」と思った方々は、おそらくは出てきたであろう罪悪感はどうしたのだろうか。


937 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/21(日) 17:08:06 qLe.ummcO
>>930
馬鹿馬鹿しいとは言わないけど何を主張したいのかはよくわからなかった。
以前からそういう疑問を感じる人や罪の意識を感じる人もいたね。

投影論を採用しなければ人は死なないのか。
そんなことはない。人は死ぬ。自然の摂理だからな。

じゃあ投影論を採用して、「人は死ぬ」ということが変わらなかったとして、それがなんなんだ。
むしろ、採用すれば(というか前提にすれば)「人は死ぬ」ことすら変えられるかもしれない。変えられたら儲けもの。


投影論ていうのは、「目の前の不可変更と思える現実を変えることができる」ということをその要旨として掲げる主張だろう?
それで罪悪感が出るという心境が私にはわからん。
むしろ、希望が出てくる魅力的な考え方と思うが。

まあそういう意見のやつもいると思ってくれ。


939 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/11/21(日) 17:47:46 66lV647I0
>>937
レスありがとう。クレさんだよね。こんにちは。
実は自分でも何がいいたいのか。。申し訳ないです。
ただ投影論を採用(投影は採用なのかな)というか投影論は真実なんじゃないかと思った。
採用するしないにかかわらず投影されているんじゃないかと。
おっしゃるように投影論を知れば「目の前の不可変更と思える現実を変えることができる」。
だから嬉しいし希望もでてくる。とても魅力的だと思う。
と、同時に投影論が真実だったなら愛する人の不幸は自分の心配やネガティブな感情が
知らずに投影されて創造していたことになるとも思った。
そしたら、罪悪感がでた。
だっていいことばかりが投影で悪いことは投影でないのはおかしいから。
そして投影論が真実なら、投影論>自然の摂理、かなとも思った。
自分の内面(たぶん潜在意識)が信じられた範囲でですが。
信じられた範囲だけ常識や自然の摂理をこえるのかなと思ったりしてる。
宙に浮く人、物質化できる人、助からない人を助けた人。。。
自然の摂理も因果関係で説明できるものだと思うけど、例えばクレシフトは
説明できない気がする。それは自然の摂理をこえてるのではないのかな。


947 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/21(日) 18:43:13 qLe.ummcO
>>939
投影論が真理だとしましょう。
投影論を知らないとしたら、現実が内面の投影だなんて思わないでしょう。
「現実は投影などではない」といった類の観念・信念が存在します。
投影であれば、それすら投影され、現実は私の内面と何ら関わりないものとして投影されるわけです。
したがって、投影論が真実であるとしても、投影論を知る前に起きた死について、自分のせいだと考える必要はないと私は思います。

さらに踏み込むと、投影論が真実であれば、「人の死」などというもの自体が完全に虚像になります。「死」は単なる投影であって、「死」があるわけではありません。
したがって、投影論が真実であれば「人の死」などというもの自体が実際には存在しないことになる。投影として、そう見えているだけということになる。

よって、そもそも投影論を知る前だろうが後だろうが、「自分のせいで人が死んだ」などと悔やむ必要は全くないわけです。

だから、私は投影論を知っても、人の死を悲しむことはありますが、それで自分を責めたり、まして不幸であったとか早過ぎた死などとは思っていません。

なぜなら、「死」など本当は存在しえないからです。
存在するように見えるのは「死」という観念が確固として存在するからに他ならない。

投影論で自然の摂理を超越できるのは同意です。理屈のうえでは、そうでなければおかしい。
自分でやってみようかな。徹底的に「時間」の存在を疑ってみよう。


960 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/21(日) 19:56:36 EtlbEhm60
>>947
ラスト1行ですが、なぜ投影論を確かめるのに「時間」の存在を疑ってみようと?
ちょっと唐突な気がしたので。

個人的に興味ひいて投げかけただけの質問なので、なんだったらスルーしてください。


980 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/21(日) 22:05:40 qLe.ummcO
>>960
途中の文章消してあるからわかりずらいかも。
私は投影論を確かめようなんて思ってません。私は投影論が真実でも108さんの釣りでもどっちでもいいです。一先ず投影論を前提として生きるまでです。


時間も自然の摂理であり、同時に私が時間という概念を保持していることの投影であるはずです。
私は以前「時間はないが、時間概念を採用しないことができるやつなんているのか?」という疑問を呈しましたが、我こそはという人がいなかったので自分でやろうかな、と。



955 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/11/21(日) 19:20:43 66lV647I0
>>947
最初の5行、なるほどそうか!と読みました。
そうなら嬉しいし罪悪感もいらない、よかったなぁと。
ただちょっとひっかかったので、もう少し教えてください。

>「現実は投影などではない」といった類の観念・信念が存在します。
>投影であれば、それすら投影され、現実は私の内面と何ら関わりないものとして投影されるわけです。
ここなのですが、そうすると投影論を知らない人の現実は内面と関係ないことになりますよね。
投影論を知らない人で、お金がなく健康でなく不幸で困って質問に来てる方も多いと思うのです。
そしてここでは「今のあなたの内面がその現実を創っているのです」と助言されてる場面をみてきたのですが、
今までのその助言の仕方は間違っていたのかな、と思ってしまい何かひっかかりました。
そして、その人たちはなんで不幸なのでしょうか?


998 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/21(日) 23:15:18 qLe.ummcO
>>955
鋭いご指摘ありがとうございます。そのとおりですね。
その助言が108氏の助言かはわかりませんが、今ある現実は自分の内面の投影というのがスタート地点というのが私の考えですから、ご指摘の箇所は少なくとも私の考えと矛盾します。
だから撤回させて下さい。

一つ説明するならば、指摘のあった部分は、なお内面の投影であることを否定しない余地を留保している、と言える気がしますが、私ならそんなこと言われても(仮に理屈として通っても)納得しないので全撤回します。

私の根本的な意見はその下の部分ですから、影響はないでしょう。


983 名前: 55 ◆52uE3j0pa6 [sage] 投稿日: 2010/11/21(日) 22:13:43 o9z6Jxt.0
>>980
時間というのは、縁としてあるのだなあと近頃気付いた。
時間の概念を採用しないというのは、縁を切るということだ。


999 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/11/21(日) 23:20:30 qLe.ummcO
>>983
なるほど。その縁とは連続性とか因果関係とか言い換えられるかな?

今ふと思ったんだけど、時間という概念を採用しているということに気付いた時点で、もうほとんど時間概念を採用していないのかもしれない。