2010年11月2日火曜日

上海雑伎団スレ【第三十三幕】

108 名前: 55 ◆52uE3j0pa6 [sage] 投稿日: 2010/10/12(火) 22:48:35 o9z6Jxt.0
>>90
どうもどうも^^

> というか55さんに108さんのいう認識の変更ってどういうことか聞きたいです。

108さんのことは108さんに聞くべし!ってUMA(未確認生物)だもんね、もはや氏も。

多分、お尋ねになりたい件は、以下のこの辺に“何か”あると思いますので、
どうかニュアンスを汲んで同調してみて下さい。
不精しているのではありません。真剣であらばこそ、こんなレスしかできないのレス。

「認識を変更したい私は、認識が変更されていない私だ」
「認識を変更した私は、認識を変更する必要がない」
「たった今“そうである”ということは、たった今“そうである”ということだ。
これは最も簡単で最も強力な創造だ」

あ、あとこれも。

「幸福は不幸の反対ではない」


178 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/14(木) 21:25:01 lxqRO1k60
>>55さん。
認識の変更についてもっと書いてください。
お願いします。
>>108だけだと自分にはチンプンカンプンです。


180 名前: 55 ◆52uE3j0pa6 [sage] 投稿日: 2010/10/14(木) 21:29:44 o9z6Jxt.0 >>178
具体的にお願いしますです。


182 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/14(木) 21:58:49 qLe.ummcO
>>180
では横槍を突いて55さんの立場を確認したい。
認識の変更に限界はあると思いますか?
時間の概念を捨てることや人はいつか死ぬという観念を捨てることは可能ですか?
可能でないならばその理由もお聞きしたい。



183 名前: 55 ◆52uE3j0pa6 [sage] 投稿日: 2010/10/14(木) 22:38:03 o9z6Jxt.0 >>182
私は昨日や明日を「今この瞬間」経験できない。
私は「今この瞬間」死んでいない。
思うに「今この瞬間」には限界がないのではないでしょうか?

私たちがこうして概念について語る時には、
「であろうこと」「であったこと」に基づいています。
ならば果たして「今この瞬間」に概念を語ることができるでしょうか?
限界があるなしに関わらず、概念などというものがあるでしょうか?

つまり、こうです。限界はない。
しかし私たちが考え語ることには、限界がある。


188 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 08:17:16 qLe.ummcO
>>183
それでは、今この瞬間とは何?

語ることに限界があるのには同意できます。私は時間や死の概念を具体的なレベルで捨てることができる人間はいないのではないかと考えていますが、それも一定の経験則に基づいています。私がそんな人間いないと思うからいないのだとも考えられるでしょう。むしろ投影論ならそれが素直だ。

一方、具体的な個々人を離れた抽象的なレベルで言えば、私は時間や死の概念を捨てることができると考えています。しかしそれは今この瞬間や、108氏の言う"今"に何もないからという理由ではなく、現実が内面の投影だとしたらそんな概念自体存在するわけがないから、捨てることができて当たり前だからです。

私がお聞きしたかったのは、抽象的なレベルで可能か不可能かもそうですが、具体的なレベルで、本当にそんな認識の変更ができる人はいるのか?ということです。前回の質問は曖昧すぎました。

そして私はこういう話相手を探していたので楽しいですwありがとう。



190 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 09:09:34 qYqmbSSI0
>>189
クレさんのいう具体的とは、例えば自分のじいさんばあさんがもう結構な年齢に達していて、
それでも死などないという認識を持っていたら150歳まで生きていくのだろうかっていう疑問か、
もしくは、死などないという認識を持っていたら地上100メートルのビルから飛び降りたり、走行中の車に飛び込めるもんなのか
という疑問ではなかろうか?


189 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 08:59:04 XcCbX5EEO
>>188
クレさんのいう「具体的レベル」の意味が汲み取れない…(´・ω・`)

わからんがw
仮に時間概念・生命概念を変更するとして、どこを探り弄るが最適か
とかもキモな気がする…
それ以前に、クレさんの「なる」をもってしても、そこには行き着けない…のか?w



あ、スンマソw
自分もこのやり取りは非常に楽しみなんでw
構わず続けておくんなましwww


196 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 17:39:56 qLe.ummcO
>>190
そういうのとはちょっと違うかと思います。外れてはいませんが。

>>189
具体と抽象は相対的なもので分野によっても異なるから、それを当然に持ち出した私は悪い子だw
私個人を抽象化していくと、一例として→人→動物→生き物→存在
となっていくかな。
今回私の言う抽象というのは、主体を極限まで抽象化して、つまり主体を考えずに「可か不可か」ということ。
それに対して具体とは、主体が存在する。「私ができる」とか「108氏ができる」とか。
「そんなことできるやつがいるのか」 「できるか?」ではなく、「できる人がいると思いますか?あなたはできますか?」という疑問。


もちろん、これは私達が語ることなので、私達の脳みそを限界としてしか語れません。語れませんが、やはり主体を抽象化した場合時間概念を捨てることはできる。

そして、私が思うに、時間概念・生命概念を捨てるのに、あなたが言う「弄る」ことは不要だと思います。最初からそんなものはないが、ないうえでその概念を持つ以上、「最初からそんなものはなく、今も存在しない」ことを受け入れれば、それで済むはずです。
しかし、やはりそれを具体的にできるかどうかとは別の話だと私は考えます。



199 名前: 55 ◆52uE3j0pa6 [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 18:41:18 o9z6Jxt.0
>>188
具体的な個人から離れない具体的なレベルでのみ、時間や死からの自由があると思います。

具体的なレベルでは、今、私は生きている。今、死はない。
しかし抽象的なレベルになると、いつか誰かの死の体験がある。この先の死が見える。

私の今ここのリアルでは、私の寿命は尽きていない。
私は地上100メートルのビルから飛び降りて死んでいない。
私は走行中の自動車に飛び込んで怪我一つしていない。
私の今ここのリアルで、私は不死だ。

むしろ今ここのリアルにおいて、死こそが虚偽ではないでしょうか?


208 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 21:22:17 qLe.ummcO
>>199
同じ意見かと思いきや、私とは少し意見が違うんですね。私は抽象的レベルでこそ人の死など見えない。具体的なレベルで私には人の死が見えます。


この間、いつぞやのリアル神対女の同期が突然亡くなりまして、私にはやはり死が"ある"のだと思いました。この"やはり"というのが、私自身死の存在を常に意識していたであろう証とも言えます。
私は死を微塵も怖れていません。むしろ不謹慎ですが、死んだら自分がどうなるかを知りたがっている。私には極めて好奇心をそそられる未知の体験です。その体験は必ずいつか訪れると感じている。だから私は毎日を後悔なく精一杯楽しみ生きている。
このように私は具体的に死が存在すると考えているわけですが、それは一方で死の存在を捨てることができていない証左であるわけです。しかし、実は捨てることができたと豪語する人間に出会いたがってもいる。
そして、世界が内面の投影なら、死は必ず存在するが、僅かながら死なない人間も存在して然るべきだと思うわけです。

だから、というわけではないですが、55さんにちょっと話してみようと考えたんです。あなたなら必ず私をワクワクさせるレスポンスがあると、これもまた確信したのです。

今ここに死がないというのは全面的に同意です。今ここにはそんなものすら抽象化され、抽象化されすぎてもはや何もないですが、全てがあります。そこにおいて死は虚偽だと私も考えます。

わかりずらい内容を汲み取って真摯にレスをくれる姿勢に感謝します。



202 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 20:21:34 EtlbEhm60
>>188
>具体的なレベルで、本当にそんな認識の変更ができる人はいるのか?

相当に困難というのが私の意見です。

アカデミズムのある領域で認識の変化変容について研究が重ねられています。
もちろん主題はマイノリティやフェミニズムなどの問題ではありますが、
そのような常識的なテーマですら認識の変更は困難です。

ただ、引き寄せとの関連では、
何に関するものの、どの程度の、どのような方向の認識の変更が必要なのか、
ということが最初に問われないと、実践にしても議論にしても不毛だと思います。
まぁ、ここは雑談スレなので、そのあたりはテキトーに楽しみましょうw


210 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 21:43:11 qLe.ummcO
>>202
ご意見ありがとうございます。それでは私の意見も述べます。

私はそのアカデミズムな領域とやらにも指くらいは突っ込んでますが、それは臨床・実験も含めた統計上の話でしょう?それは、全体を完全に調べるのが無理だから無作為にこんな感じの人達からいろいろやってデータ採って、その資料から推察される結論を正当ということにして納得しましょうね、という大前提の合意の下の話であって、実際にできる人間がいるのかどうか・それが困難なのかとは何の関わりもないわけです。

そして、私はこの疑問を投げ掛けて実践に役立てようとか議論して行こうとは考えていません。
55さんがいたから聞いてみただけです。こういう話にも付き合ってくれそうな気がしたからw


198 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 18:37:59 XcCbX5EEO

>>196
…えー、>>190さんのも違う?つまり例え話の空論ではない、ってことなんかなw
「この人はこんな場面でこんな現象を引き起こしてると聞きました・見ましたから出来る人の範疇に入ると思います、だから居ると思います」
とかそんな感じなんかいな?いやーそれもちょい違うような…
かと言って「出来るし居ると思う(出来る・居ると信じるのみでも可)かどうか」だけを質問してるとは到底思えないし…


…………



\(^o^)/わっからーんwwww



↑スマンですw以上ほっといてくだされww

このやり取りをもっと楽しく読みたい!しかし
クレさんの質問の真意が掴めないことにゃ…といういわば個人的趣味ですわw
そんなもんに付き合わせてしもて申し訳ないっすorz

とか書いてる内に!あーやっと午後T氏帰ってきた!
早くアンサーしてくれーwwww


211 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 21:44:02 qLe.ummcO
>>198
>「出来るし居ると思う(出来る・居ると信じるのみでも可)かどうか」だけを質問してるとは到底思えないし…

いや、それしか聞こうとは思ってなかった。
だから55さんが「わからんw」と言ってきたら「そーすかwサーセンw」でよかったわけです。

まあつまらなかっただろうけどw



212 名前: 24 投稿日: 2010/10/15(金) 22:14:35 f8oUI6i60
なあクレさん55さん。二人の会話にわって入るが

それが 願望を叶える上で重要な事と何か関係あるのか? 

まったくあんたらの会話わかんね~

己の野望を叶える為になる事に関係あるなら興味津々だがな


213 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 22:19:55 XcCbX5EEO
>>211
なははwまたクレさんにはしてやられましたなwwって勝手にすごい想像しただけなんだけどねww

ちなみに「また」ってのは、クレシフトの時もそうだったからw
決してクレシフトをバカにするわけじゃないけど、あれも結局
特別な才能ある選ばれた人間のみが使える高等技術でもなんでもなくて
「みんな普段からやってるじゃん」的な代物だったんだよね。
気付いた時はマジ拍子抜けたww


215 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/15(金) 23:02:00 XcCbX5EEO
>>208
あぁあ!
なんか出てきたぞ産まれましたぜクレさんや。
って大袈裟だがw

>私とは少し意見が違うんですね。私は抽象的レベルでこそ人の死など見えない。具体的なレベルで私には人の死が見えます。

ここんとこ。
「見る」に辺りピント合わせる位置かズームする範囲の違い=意見の相違
ではないかい?

例えば、宇宙から見たら人間なんかチリ以下だし、逆に顕微鏡で人間様の姿形は捕らえられない。
人間を裸眼で見たのと顕微鏡で見たのの違いを話してるのが55さんなら、宇宙から地球上の人間と地上で地球(同じ地上)にいる人間の見え方の違いを語るのがクレさん
でも見てるものそのものは実は全く同じ
こんなん出ましたけどw


で、ついでなんだけど聞けなかったから再質問。
クレさんは
クレシフト=なるをもってしても、死の観念系統や時間関連の観念を変更出来ない
と結論つけたから55さんとああいうやり取りしたってことなのかな?


265 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/16(土) 19:09:23 qLe.ummcO
>>212
少なくともそんなことのために私は話してない。

>>213
>>215
表現が難しく見えるだけです。私は普段から正しいが難解な文を書くと注意されたりするくらいだからな。すまん。

あ、それ質問だったのね。私が55さんに質問したのは55さんがいて私が質問したかったからだよ。
"クレシフトでは"っていうのも相当抽象的な話で、それは可能だ。何度も言うけどそれは認識の変更そのものだから。


374 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/19(火) 01:06:43 z2RMBpuI0
DAZEさんや55さんは物事に執着するってことは
今はもうないですか?

執着ってなんだろね。
きっと分離や恐怖心から来るのかな、と思うんだけど。

執着心を取り除くには「心配しなくていい。大丈夫だ」と
自分を安心させてあげることがいいのかな?


387 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/19(火) 11:32:57 qLe.ummcO
>>374
分離からくるものだと思うな。
"それじゃなければダメ"という執着心は、自分の五感の作用で感じ・考え・把握し・評価したものとそれ以外を切り離す。
「あの人じゃなければダメ」なんていう人よくいるし、自分自身もそうだったけど、実際はそんなことない。
満たされてるときに振り返れば、人も物も"それ"じゃなきゃダメだった経験なんて結局一度もないや。"それ"よりいい人・物に出会うと"そっち"の方がよくなって"それ"のことどっちでもよくなる。

何かを埋めたいんだよな~。多分。"それ"で。



392 名前: ぶたまん [sage] 投稿日: 2010/10/19(火) 13:15:20 kXkdZq.20
>>387

そうそう。
結局“それ”しか知らないから“それ”に執着しちゃうんだよね。
んで、否応なく“それ”を手にしていない現象を確認してしまう。

“それ”が満たしてくれるものに照準をあわせると、“それ”でなくてもいい事に気づく。
そうすると“それ”を今手にしていなくても悶々としなくてすむ。

どうしても551の豚まんを和風からしと醤油で食べたい~と思っていても、
ヨメが「(菊水の寒干)ラーメンでも作ろうか?」って言うと、
そうそう、それが喰いたかったんだよ~ってなるな。

withモルツ、は譲れないがw


398 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/19(火) 14:50:58 utxK6XGQO
>>387
それでは何故わざわざ一つのものに執着するのでしょう?
「それ」に執着してしまったのは何故か?というか。
執着自体ではなく、何故「それ」を選んだのか疑問です。

おにぎりの具は梅でなければいけないとか、この人と付き合いたい!など。


403 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/10/19(火) 16:46:08 qLe.ummcO
>>392
モルツは外せない。

>>398
おにぎりはさておき「この人と付き合いたい」には執着心がないと思う。

執着してしまうまともな理由なんてあるのかなあ。そんな理由がないからこそ、あなたのおっしゃるように「なぜ一つのものに執着するの?」という疑問に行き着くんだと思う。

なぜ「それ」を選んだかっていうのは具体的な場面で様々な理由があるだろうね。一般化・抽象化すると「それがよかったから」という風にトートロジーになってしまう。
それも突き詰めて行けば理由なんてなくなると思うけど、そこまで抽象化して考えてもあんまり楽しくないなあ。